現在、執筆中の『お客様を素敵にするビジネス〜Branding in Next Decade』(仮題)の初稿原稿です。
まだ初稿ですので、皆さんのご意見を戴きながら手直しをしていきたいと思います。どうぞコメントか、あるいはメールください。
御礼として、出版時に献本させて頂きます。
※今回の原稿は「序章」と「本章(4〜6章構成)」の間に入るコラムです。
なぜコラムかというと、この原稿は昔、序章用に書いていたのですが、
それを忘れていて序章を書き終えてしまったので、どうしようかと。
とりあえず、捨てるのも勿体ないので コラムとして復活しました。
そこで皆さん。これが本当に必用かどうか?教えていただけませんか?
宜しくお願い申し上げます。
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コラム:賢さ・素敵さと愚かさは一枚のコインの裏表。
マーケティングとブランディング、モノづくりと関係づくり・・・この本では、あなたの考えを整理するためにいくつかの言葉を対峙して整理してきました。本文に入る前にもう一つこの本の主題となる「賢さ・素敵さ」を考える為に、それに対峙する「愚かさ」についても考えておきたいと思います。
なぜ、賢さの話をせずに「愚かさ」の話をするのか?
それは、今までのブランディングが暗黙の内に、お客様の「愚かさ」を利用する戦略だったからです。今までのブランディングの常識を抜け出て新しいブランディングを考える為には、この古い認識から脱却しなくてはなりません。またそれによって、従来のブランドにあったプレミアム市場(富裕層市場)対コモディティ市場(マス市場)といった単純な色分けからも脱却できるはずです。新しいブランディングを始める最後の準備として、このコラムにおつきあいください。
「お客様は愚かな方が良い」、心のどこかでそう思っていないか?
誰でも自分の成長、自社の成長には真剣。そして自社の人間には「賢く」なって欲しいと思っています。それを望まないリーダーはおそらくいないでしょう。実際に、自分を賢くする、会社を賢くすることをテーマとした本が多数出版されています。
では翻って、「お客様に賢くあって欲しい」と思うリーダーの割合はどれくらいでしょうか。正直なところ、「お客様には愚かであって欲しい」と思っているリーダーの方が圧倒的なのではないでしょうか。
寄らしむべからず、知らしむべからず。
お客様にとって「すごい」と思われることが、実は作り手にとっては「当たり前」であることは多いもの。また「そういった自社とお客様の間にある情報格差(思い込み)を生かしてこそ商売が成り立つのだ・・・」、そう考える方が多いのではないでしょうか。
実際、多くの製品は、購入するまでその本当の品質を試せません。また、一人の消費者が市場に溢れるすべての製品をテストすることが出来ません。お客様と企業の間には品質について超えられない情報格差があり、実際上、お客様はブランドに頼らなければ購入できない(そうしないときの時間とコストが膨大になる)状態なのです。
そう、私もブランドについて研究しはじめた90年代の半ば頃は、この市場における情報格差の存在こそ、ブランドが成り立つ根本の原理なのだと教えられました。そう、今までのブランディングの根本には(あえて、俗悪な言い方をして問題点を明確にしたいと思います)、「愚かな消費者」を暗黙の内に前提にしていたのです。消費者が知らないことをつくり手は知っている。この情報の格差を最大限に利用することがブランディングだったのです。
ブランドはよくお客様への「約束」だと良く言われます。約束とは品質への約束でしょう。そして、なぜ約束しないといけないのか?それはお客様ひとりで品質を完全に知りうることが出来ないから、企業の側が誠意を持って約束するのです。しかし、そのようなブランディングは今、崩れつつあります。
今やインターネットには(玉石混合とはいえ)、メーカーの販売担当者も知らないような技術情報があふれ、多くの既購入者がその使用感をブログ等で発信し、価格ドットコムなどでは使用者の評価に基づくランキングが発信され続けるとき、メーカーとお客様との情報格差は以前と同じような形で存在するでしょうか。
特にメーカーも想定しなかった不具合情報や、末端のサービスの質などはメーカーよりもお客様の方が先に知りうるという逆転現象も起こっています。評価のランキングも、必ずしもプロとは言えない(体験も知識も狭い)人たちによって、勝手に決められてしまうこともあります。
そう、過去のブランドが前提としていたメーカーと消費者の間の情報格差の存在自体が、そもそも危うくなっているのです。情報格差は、必ずしも現代ではアテにならないのです。
もちろん、多くのお客様は必ずしも積極的に情報を得ているわけではありません。従って情報格差はしばらく存在し続けるでしょう。そういう意味では“愚かなお客様”は常にあなたの前に存在します。
しかし、果たして“愚かなお客様”でさえ、あなたのビジネスにとって本当にお得意様、上客であると言えるのでしょうか?
“愚かな”お客様は、間違いなく「賢く」買い叩く
“愚かな”お客様が、ただ知識がないというだけなら問題はありません。しかし、事はそう簡単にはいきません。
“愚かなお客様”は、自分の選択眼に自信がないお客様です。そういうお客様は、「安く」買うことに全力を注ぎます。何故なら安く買うと言うことは、単にお金を節約するというだけでなく、その人達にお金を超えた満足を与えるのです。その満足とは、消費者として「いとも簡単に自分を賢く見せることができる」ことによって得られる満足です。
自分の知識や選択眼に自信がない消費者にとって、一番賢い方法は「売り手を競争させて、できるだけ安い値段を提示させる」ということです。実際に自分で競争させることはないでしょうが、現実としてお客様が安さを追いかける限り、それは「買い叩き競争をさせている」ということと一緒です。
もちろん、その前提になるのは「企業側から消費者に行われる約束(従来のブランディング」ですが、厳しい競争の中では誰もが「約束」を提供してくれます。しかし、ある日約束をしていた企業が競争に破れて退場していくこともあるのです。そして、その退場こそまさに消費者が知り得ないことです。こういう形で情報の偏りが出てくる可能性がある以上、情報の偏りにブランディングの基盤があることは砂上の楼閣に経っているのと変わらないのです。
厳しい言い方になりますが、「ブランドは消費者との約束である」と言うのは、私は思考停止、あるいは自己満足に過ぎないと思います。少なくとも厳しい競争の中で、約束の持つ価値は顧客側から見ればそれほど(つまりプレミアム価格を払うほど)の価値は認めないでしょう。それでも「ブランドは消費者の約束である」という言葉を大切にするのは、そこに企業として多大な努力と痛みを払うので、自分たちにとっての主観的な価値が高いからです。約束の価値が、お客様の主観から見れば安く、自分たちの主観から見れば高いのです。これは経済の原則からいえば全くの逆張りです。その一つを取っても自己満足と言われても仕方がないでしょう。
“愚かさ”も「賢さ」も、いずれも同じ自分を大切にする気持ちから始まる。
ここで一つだけ確認しておきたいことがあります。
「安く買い叩く」こと、「名前に頼る」ことは“愚かな”お客様の取る行動と書いてきましたが、その行動自体、あるいはその動機は、お客様の「賢い自分でありたい」という気持ちに根ざしていることです。
お客様は人間です。
つまり人間であると言うことは、合理的な行動の背後にも「自分を大切にしたい」、「自分に敬意を持ちたい(持たれたい)」という感情に大きく動かされると言うことです。これがあれば安い買い物にも“満足”があり、これが無ければ高い買い物も“惨めな”ものに終わります。安く買い叩く気持ちも、ブランドを大切にしていただける気持ちも、実は同じ「自分を大切にしたい」という気持ちが出発点です。
大切なのは愚かさも賢さも、それは同じ「自分を大切にする気持ち」から生まれるのです。今までのマーケティングではお客様をターゲットと呼んできました。ターゲットとは自分たち企業主体が何らかの行動を起こすときの操作対象ということです。そして購入するかしないか、つまりお金はあるか、商品知識はあるか、他の競合商品に流れないか、ということばかり考えてきたように思います。これが「モノ」を中心とした発想であり、「ブランドや約束である」という発想です。
だからこそ、情報格差を基盤にするのではなく、「自分を大切にし、自分に敬意を持ちたいと考えるお客様の気持ち」を基盤にする新しいブランディングが必用なのです。モノづくりではなく関係づくり、付加価値はモノではなくお客様の成長にあると言うのはこのような時代の変化から来ているのです。
もう我々はお客様の愚かさには頼りません。いやそれ以上に愚かなお客様という浅い考えにもさよならが言えます。そして、その自らの愚かな思い込みにさよならが言えたとき、今まで見えてこなかったマーケットも見えてきます。ぜひ期待しておつきあいください。
溜まってからのまとめ読みだけど見てますよ。
ここに続く本章の内容により判断は変わるかもですが。
この場所じゃないかな?と思慮。
「お客様を賢くする」「スマートに」などの、ポジティブワードが多い序章のあとに、否定形での使用とは言え「愚かな」「愚かさ」が多用されるのは、僕は違和感がありました。
逆にそのことでポジティブワードを定着させる狙いなら、これはこれでありかも。
このネガティブさの理由は、「ブランドは約束である」と簡単に行ってしまうことの危険の指摘があったのですが、ちょっと気負いすぎたかも知れません。
とりあえず、この部分はコラムとしておいておいて、前後関係からもう一度考えてみます。
それから、沢山の誤字脱字が見つかったので、週末までに修正します。(恥)