2010年05月29日

iPadは電子書籍の夢を見るか? iPadに触れて分かるビジネスの可能性をまとめました。

テレビで報道された銀座アップルショップ(1200名が行列)の狂騒とは全く関係なく、ビックカメラ藤沢では「iPad、今すぐにオモチカエリ頂けます」と呼び込みが。その呼び込みに誘われてほんの30分ほどでwi-fiモデル(64GB)を購入しました。
昨日はその感想を、夜中までツイットしましたので、それを自分の備忘録のために保存しておきます。
まず、重要なのは巷で言われる「紙書籍vs.電子書籍」というモノの問題ではなく、本質的には流通ビジネスの問題であること。

以下ツイット。
@satokoyamaguchi そういう意味では無く。紙媒体と電子媒体は棲み分けられるし、両立するのですよ。その棲み分けがどうなるかは別として。直近の問題は「北書店」のような街の書店です。通信機能のついた電子ブックリーダーの直接競合は紙媒体ではなく、「書店」です。

問題は、紙か電子か?ではなく、再販制度と取次制度というシステムを含む流通の問題。流通の問題だから、スーパーや家電量販で起きたことは起こりえる。小規模出版と小規模小売りがババを引くであろう。地方に関しては、むしろ出版・発行を考えた方がよいかも。出来ることは未だある。

@ngt_cloudcity 実はボクが衝撃を受けたのは、「古典」の分野。私は日本の名著、世界の名著、日本の文学、世界の文学を全巻揃える本好きですが、それが一台に入る衝撃。これはGMSやコンビニの隆盛のような流通問題。ある一部の分野で「百科事典が消えた」現象が繰り返されるかも。


また、実はリアル書籍好きの人が実は電子化に移行しやすいのではないかという話。

@ngt_cloudcity ボクは本好きのヘビーユーザーが一番、移行する可能性が高いと思います。閲覧ではなく、検索(捜索)や貯蔵にこそメリットを感じるユーザーがいるので。年に数冊の読者は変わらない。雑誌読者もそうです個々の質ではなく、全体的な量が問題になるのです。

Googleは元々、スタンフォード大が所蔵する全著作を検索できないか、から始まったのでは?知識の配布(閲覧)において紙は利点を持ちます(電子も利点を持ちます)が、「知識の再利用」については紙は必ずしも利点が多いわけではない。そう百科事典はそうですが、量が増すと普通の本でも起こる。

そういう意味で、iPadは単に紙書籍vs電子書籍の問題の他に、紙流通vs電子流通、紙保管vs電子保管の問題という次元が違う問題が出てくる。それが「紙の本は死なないが本屋が死ぬ」、「本屋は本屋を越えなくてはならない」という意味です。


そして、危機を迎える「街の本屋さん」についても考えました。

ボクは「古典(自由に使えるコンテンツ)」と、「百マス計算(ある特定地域だけで標準化されたテキスト)」を組み合わせるのも一つの方法だと思います。よく地方には「論語の会」がありますが、これも一ひねりすれば低コストで地域の実用性が高いコンテンツに出来るはず。地方書店はまだ出来るはず。

地方の本屋さんは本を誰に売っていますか?
あるいは、本屋さん以外に本を上手く売っている人は誰ですか?
最初の質問は「学校相手に」つまり教科書ビジネスです。
次の質問は「大学教授」です。
また、NHKの「テキスト商売」もすごいですね。

つまり、地域×教育(研修)×テキスト×本屋という場によって、自分が地域ニーズに合わせた情報発信側と情報ナビゲーターになる方法です。
流通業(出版業界に対するソリューション)ではなく、顧客に対するソリューションビジネスです。
大変だけど、やり甲斐があると思います。

さて、ここまでは電子出版に関わることでしたが、
最後にiPadという形態そのものが持つ可能性について・・・

iPadの凄さは、何人かで同時に一画面を見る(共有する)ことが出来ること。これは「携帯(iPhone含む)」には全く無かったこと。単なる電子書籍ではなく、その共有性に注目すべき。リアルでは「絵本」の感覚に近い。まず出る電子書籍は「絵本」か?

ちなみに、他の方のツイットで「紙の本の方が温かい」、「その典型が絵本だ」と仰有っていましたが、私はまずそこから崩れていくと思います。

ネット上に相互に書き込みが出来る「電子白版」が出来たら、面白そう。この辺りにパソコンとも、携帯とも違うiPad独自のコミュニケーションツールとして使えるかも知れない。

単純な話、仲間同士でピザを頼むとき、居酒屋でメニューを選ぶとき、「こっちにもまわして〜!」って使うような感じ(現状では重すぎるが)。携帯がバーチャルな情報共有だとしたら、それを再度Face to Fcaeコミュニケーションに出来る。ウォークマンを二人で聞く感じ


それに対して次の様な反論がありました。

@shozo_koide 盛り上がっているところ恐縮ですが、自分と端末に加えて第三者が参加できるかどうかは、コンテンツ次第だと思います。例えば同じ画面に映っていても寅さんとベルリン天使の詩では、のめり込みの質が違なるので、第三者を許容できるかが分かれてしまう

それに対して・・・

もちろん、その通り。iPadの全てがそれとは言わない。でも、この使い方、あまり見たことが無かったから。

問題なのは、画面シェアという考え方で設計するコンテンツがあっても良いと言うこと。ボクはプレゼンに使えると思っています。

今までのプレゼンは「対面する」んだけど、「どうです」って横に座ってみせる方法。これは、ある優秀なカーセールスマンが使っている方法。

実は無線でパソコンのセカンドモニターとして使用するソフトがもうすぐ出ます。同じ画面をPushすることも出来、プレゼンツールとして大期待。 QT @cutshopsakuma: 医師が患者の直ぐ側にipadを置いて治療箇所を拡大表示しながら処置すると言う事を伝えていましたね。



ちなみに、昨日から思うことはiPadに対して過剰反応過ぎ。
音楽は「パッケージからダウンロードに」と言われているけど、実際に今でもCDの方が売れているわけです。(先日、ある調査では
携帯音楽プレイヤーユーザーの音楽購入先は6割がCD。ダウンロードは2割ほど)
業界全体を破壊するほどのパワーはありません。

ただし、こういう変化はまんべんなく現れるのではなく、局所的に現れる。だから、小さな街角の小さな本屋が消えていきます。
問題はコンテンツではなく、コンテクスト。具体的は流通の問題です。
昨日から、この点がまったく報道されていないのは問題。
もちろん、流通が商品を殺す可能性への言及も皆無。流通が商品を殺すとは、流通が個別商品のディストリビュートを完全に握ると、商品を排除できる可能性が高まること。Googleの「検閲」問題やアップルストアの「検閲」問題がそうです。
そういう所を報道せず、単に「紙へのノスタルジー」を語っているのは自らの不明を報道しているようなものです。


以上、たった半日(買ったのは夕方遅く)で、ここまで色々なことを考えさせてくれるだけで、iPadを買った価値がありました。


posted by BLC at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺抄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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