なぜ「自由」に行えないかと言えば、自分一人の責任で本が出せるわけではないという単純なことです。逆に言えば、「テキスト」については私の自由だけど(で、無ければ著者じゃないでしょ。と言いたいんだけど、実際はそういかないこともあるらしい)、「本」については自由ではないわけです。
でも「テキスト」は「本」の中に囚われています。
だから、ボクが販促のために「テキストを自由に配布したい」※と思っても、いろいろなシガラミで出来ないわけです。
実際に、次の本では「テキストの無料公開」をやってみたいと思っていますから、そのシガラミは面倒くさいわけです。
「テキスト」の権利者として、それを乗せるビークル(メディア)や価格設定を自由に選びたい。
それが自由出版業なのです。
※ボクはテキストを配っても、まだ「本として買いたい」というようなインターフェイス設計をしたいし、そういう意味で本を信じています。